ふとした思いつき 今日のひとこと

理性について

昨日見た新聞に、「良識や健全な思考」という言葉で書かれていた。
良識とは、社会を保つための意思と自分を保つための意思のバランスが程よくとれている状態なんだろうか。社会を保つための意思がやや多めなのだろうか。

ふと、数日前に読んだweb記事の「正義中毒」という言葉にもつながるような気がした。

今、新型コロナウイルスの感染拡大により世界中が不安に包まれている。
このウイルスは生存戦略だけで生きている。
私たちは、戦略に加えて意思や感情を持つ。それゆえ、混乱し、悩むと行動が変わる。
意思の在り方が問われるているな、と思う。

社会を保つための意思と自分を保つための意思は同じにならない。
それはいつだってそう。

そのバランスは、理性とも呼べるのかな、と思っている。

理性=論理やロジックととらえて感情と対立構造を示すものが多いけど、私は理性には、その人の価値観に基づく知性も含まれていると思う。
暗記している情報の量や教育の量だけではなくて、思考パターンも含むものが知性。自分に入る情報の捉え方(認識パターン)の影響が大きいだろうなと思う。
あとは、職種など環境要因も(つねに指示を出す職位にあるなのか、議論が日常なのか、指示を出され叱責されやすい立場なのか)。

良い、とか、健全とか。言葉自体はぜんぜん悪くない。
ただ、認識する側の価値観をとても問う言葉だと思う。

こうあらねば、も、私は私である!という盾をふりかざすことも、どちらも時に自分を縛り付ける。
似て非なる他者と分かり合うことはとても難しい。

「あなたはどうしてそう思うの?」
「あなたにとっては、どこがポイントだったの?」というような小さな問いを重ねることで、
じわじわと相手の思考が存在することを自分に許可することができればいいのではないかな、と感じる。

その小さな積み重ねには、自分への問いがいつもついてくる。
「あなたにとって、それはなぜ良いの?、良くないとどうなるの?」

問いが理性を作る。

誰かの言葉で思考停止してしまうと、その止まった思考が表すものもわからず他者を批判することになる。それは、つらいループに自分を落とすことになるから、あまりお勧めしない。
つらい気持ちを吐露するのと、誰かを批判することは、同時に起きがちだけど、同じことではないから、そこだけでも混ざらないといい。

理性をもつことは、点じゃなくて線。
問い続けて、作り続けること。

それゆえハードワーク。
それゆえ、何かを掴めたときの喜びは大きい。


「ふとした思いつき」をくれた記事:
・buzzfeed 「このままでは8割減できない」 「8割おじさん」こと西浦博教授が、コロナ拡大阻止でこの数字にこだわる理由
url: https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-nishiura
・コロナと世界 市民の良識、未来を左右 科学史家 村上陽一郎氏(有料記事)
url: https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20200411&ng=DGKKZO57946240Q0A410C2MM8000
・MY LOHAS これからは「人を許せない」気持ちが増幅していく/脳科学者・中野信子さん
url: https://www.mylohas.net/2020/04/209713nobuko_nakano01.html
・MYLOHAS 正義中毒の対象になるのは、集団のルールを乱す人/脳科学者・中野信子さん
url: https://www.mylohas.net/2020/04/209777nobuko_nakano02.html